Alameda

緩い日差しの午後、遠くで子供らの嬌声が聞こえる。
そのほかには風の音、木々のざわめき、肩から提げたカメラの音。そして自分の足音。

自分の足音を意識して聞くことは、なかなかないことではなかろうか。
僕は右足を少し引き摺る。
古傷が右ひざにあるのだが、すでに痛みなどないので半ば癖になっているのだろう。

4ビートが基本なのだけど、引き摺るせいで裏が入る感じ。
16ビートになっている。

娘がまだ幼い頃、ずい分遠くから僕を見つけて駆け寄ってきたことがあった。
そんなに目立つ格好をしていたつもりはなかったので、どうしてそんなに遠くから分かったのかと聞くと、歩き方で分かったのだと言う。
ふと、そんな事を思い出した散歩道。

Josef Sudek

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フレクサレットに35mmアダプターを付けてみた。
カメラに付いてきた物で、装着するとパトローネ入りの35mmが使用できるというアダプターだ。
フレクサレットVIIのテイクレンズは80mmベラーである。
120mmフィルムを使った場合、35mmフィルム換算で44mm程度だ。
これを35mmフィルムに使った場合、単純に80mmとすればいいのかどうか分からないが、かなり画角は狭くなる。
さらにボディ下側のフィルム室から巻き上げる形になるので、通常の撮影では縦位置ということになる。

こういうアダプターはローライにもローライキンがあって、かつてはポピュラーだったようだ。
このフレクサレットVIIの物は24mm×24mmのマスクなんての付いている。
これ1台で何でも…みたいな発想だ。

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もちろん横位置でも撮れないことはないが、被写体に対して90度横を向いてボディも真横にして撮影することになる。
スポーツファインダーを使えば正対して撮れるが、シャッターボタンの位置もおかしなことになるので、撮り難いことに違いない。

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レンズの美味しいところ取りというか、イメージサークルの中心部分しか使わないことになるので、レンズの長所が活きているはずだ。デジタル専用のレンズではなく、フルサイズ用のレンズをAPS-Cで使うようなものだ。

フレクサレットはチェコのカメラであるが、チェコといえばJosef Sudekではないか。
スデックがまさかフレクサレットを使ったとは考えられないが、いつかこのカメラを携えてプラハの街を彷徨ってみたい気持ちにもなる。

Steps

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わざわざ写真を撮りに出かけることはない。 出かけたついでに撮ることはあっても撮るために出かけることはない。

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街が好きである。 あるいは大嫌いである。 その振幅が大きければ大きいほど僕はその街に魅力を感じる。

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街が好きである。 あるいは大嫌いである。 その振幅が大きければ大きいほど僕はその街に魅力を感じる。 人が好きである。 あるいは大嫌いである。 人は街を構成する要素であるが、同時に消えてなくなればいいと思う瞬間がある。

美しいものが好きである。 あるいは大嫌いである。 つまりはオネーチャンを撮るか、きったねえジジイを撮るということである。

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恨み辛みや葛藤、柵。 それが衝動になっている写真が愛すべき写真だと思っている。 だがそういう写真は「ウケ」ない。
寝たい、食いたい、飲みたい、殴りたい、ヤりたいetc…。
そういうのにフタをして、しれっと「このレンズは…」とかやられちゃうと手も足も出ない。 人ってそんなにも爽やかに生きられるものなのか、と。
「ボクは賢いから、そんなのを表に出さないんだ」とか言われちゃうのもお手上げ。
何食って生きてんだろうと思ってしまう。
そういう人の写真の方が「ウケ」るのにも腹が立つ。(笑)