And I Love Car


あんまり説教臭い歌って苦手なんです。
あと「がんばれ」って歌。
言われなくてもがんばって生きてますから(笑)
ふっと肩の力が抜けるような歌がいいと思うのですよ。

小沢昭一さんの本や語り、あと落語家の一席。
そういうのが好きなのと同じベクトルかも知れないです。
人を怒らせるのは簡単ですけど、笑わせるのは、その何倍も難しい。
しかもあらゆる世代を同じネタで笑わせるなんて仕事は、知的職業以外の何ものでもないだろう、と。

え?最近のお笑い芸人?
全ての人たちが笑うわけではないでしょう。
お年寄りから子どもまでが笑う。
それができて、初めて「お笑い」の人なんじゃないでしょうか。

これなんかもそう。
いいセンスですよ。
こういうのがサラリとやれるって感覚には嫉妬します。
Charなんてステキ過ぎる。

歳くってくると、キーワードを踏んでいれば、それなりに「俺ってすごい人生送ってきて、経験もハンパねぇから、お前らもがんばれよ」みたいな、意味もなく上から目線な人になるじゃないですか。
例えば「本をたくさん読んだ」とか「放浪の旅をした」とか。もっと突っ込めば「そういう古いことだけじゃなくて、俺はwebの世界にも明るいし、若いヤツとも対等だぜ」みたいなこと。
または逆に「俺ってこんなにひどくて、バカなんだよ」って自虐的なフリをする自慢話。
でも、そういうので誰も笑わないんですよね。
当たり前ですよね、面白くないんだもの。
本人はそうじゃなくても、単なる自慢話にしか聞こえない。

でも、人を楽しませるセンス、笑わせるセンスに長けてる人って、同じ話をしていても嫌味じゃない。
ちゃんと相手の気持ちに届くし、真意が伝わってる。
すげぇよなぁと思うんです。
こういう人になりたい、と。

奥田民生も山崎まさよしもCharも、そういう人に近い人たち。
格好いい。見た目じゃなくて、存在が格好いい。
だらーんとしていてクール。いい加減そうに見えていい加減(笑)
こういう人たちの何気ないひと言が、色んな人たちの気持ちに届いて、意外と世の中を動かしちゃったりするんだよなぁ。

DEAD END~LOVE,FLOWERS,PROPHECY~

この曲はずっと耳の奥に残っている曲です。
誰の曲だか分かりますか?

ゴダイゴは「ガンダーラ」でブレイクしますが、その前年(1977年)にリリースしたアルバム「DEAD END」のタイトル曲です。
ガンダーラ以降はキャッチーな曲が増えていきますが、このアルバムのころはもっとハードでアレンジも演奏も凝ったものでした。

リリース当時、僕はまだ小学生だったので聞いたのはリアルタイムではありませんが、その後リリースされた「MAGIC CAPSULE」に収録されていました。
ヒット曲が多く収録されている中、ブレイク前の「SUITE: GENESIS」や、この「DEAD END~LOVE,FLOWERS,PROPHECY~」が印象に残りました。

日本人がすべて英語で作られたオリジナルを歌うというのもかなり斬新でしたし、後から思えば演奏のレベルも相当に高いもので、歌謡曲ばかりに慣れていた耳には衝撃的でした。  

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しかしタケカワさん、あんまり発音良くないんですよねぇ(笑)

State

このところ多忙です。
まぁ自業自得(by 朝青龍)なんですが、もうこの歳だと体がキツい。
30代までは目覚まし要らずでバシッと起きられたモンですが、昨今は何度か起こされて、ようやく布団から這い出るような始末です。

写真も週末にちょこちょこ撮るくらいになってしまいました。
もう、はっきり言ってどうでも良くなってる感じです。
偉そうに高説を打つのも柄じゃありませんし。
好きなものを好きなように撮る。
ま、ずいぶん楽になりました。

まとめというか、プリントを作ったものだけを載せたサイトを作っています。
てか、以前からあったものを作り直したんですけど。
いまさらリンクを貼るのもアレなんで、もし興味がおありでしたら探してみてください。
ヒントは、このサイトにあります。
プリントをスキャンすればいいんですが、バライタは乾燥に時間がかかるので、あくまで備忘録としてのフィルムスキャンで載せています。 
不定期更新です。

よく通ったカメラ店が閉店するというので、ずっと置物になっていたラッキーG70を安く譲ってもらいました。
使い込まれていますが一式すべて揃っていて、場所の確保も考えずに買ってしまったのです(笑)
散光式と集光式を切り替えができて、YMCフィルターが内蔵されているのでモノクロでもカラーでも使えます。 
モノクロは相変わらずイルフォードのマルチグレードFBを使っていますが、 カラー印画紙はモノクロ以上に選択の余地がありません。
コダックのスープラエンデュラって好きなんですが、在庫が払底したらおしまいなんだそうです。
もうフジしか残っていませんね。
なくなったらなくなったで仕方ないんですけど。

そんなこんなで毎日過ごしています。
寝不足でぼんやりしながら、秋晴れの空を恨めしそうに眺めている朝でした。 

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かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂

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今日は吉田松陰の命日です。
1859年、江戸・伝馬町の牢で斬首されてから151年。
佐久間象山に師事し、密航を何度か企てるも失敗に終わり、山口県萩市で幽閉されるも、松下村塾を開塾。
塾生には明治維新前後に日本を動かす面々が揃っていました。

“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”
松蔭の辞世の句ですが、これを記した碑が現在の地下鉄日比谷線、小伝馬町駅の4番出口から出て裏にまわった所、十思公園内にあります。
そここそが斬首の場所で、今日あたりは花や線香が供えられているかも知れません。 

松蔭は自著「幽囚録」の中で「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記しています。
これは「いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャツカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。 また、朝鮮をうながして昔同様に貢納させ、北は満州の地を裂き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである」ということです。
日本は神国、天皇を中心にした神の国であるという戦前教育。これの発端は、どうもここら辺にありそうです。
この教えを受けた松下村塾の塾生が明治政府の要職に就き、その後の国政に大きな影響を与えたことは否めません。

ただ松蔭は命がけの海外渡航を繰り返しました。
それほどまでに外国を見たかった理由は何だったのでしょう。

日本は明治新政府になり、人心一新で新時代に向かっていきます。
しかし、舵取りとなる政府の役人たちの思想は「幽囚録」そのものであり、日清・日露戦争、韓国併合、満州事変、太平洋戦争へと突き進んでいくのです。
新しい時代になり、新しい制度や新しい物が普通に流通するようになっても、政府の舵取りは江戸時代後期の人、まだ世界地理や民主主義や社会主義のなんたるかも知らない私塾の先生の教えのままだったわけです。

実は松蔭自身、自分がそれらのことに無知であることを知っていたのではないでしょうか。 
だからこそ、自分の目でそれらを見て学ぶために命がけの海外渡航を企てたのではないでしょうか。

戦前の修身(道徳)の教科書には、松蔭は天皇中心の正当性や忠君愛国の根拠をもたらした人物とされています。
論理のすりかえや誤用などもあるでしょうが、倒幕に全力を傾けて、いざ新政府樹立となった途端に気合が抜けてしまったように見える明治維新。
西欧列強が植民地支配の手をアジア周辺に伸ばしてきていた時勢を考えれば、富国強兵は当たり前の発想ではありますが、 日本人の精神は「武士道」という言葉で言い換えられた「精神的鎖国」のままだったのではないかとも思えます。

江戸後期、アメリカとの余りにも不平等や通商条約を結んでしまった幕府は、日本がその後迎える時代に不都合な存在だったことは明白です。
その時代に抱く殉国の思いと、戦時下に教育された殉国の考えには隔たりがあります。あまりにも時代が違いすぎるのです。
まったく上手く利用されてしまった、としか考えられません。

当時は日本という国を俯瞰できる人は一握りでした。
そういう意味では松蔭は稀有な存在だったことは事実だと思います。
151年後の今日、松蔭はどんな思いで日本を見るのでしょうね。 

雨の動物園

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村上春樹の短編小説『中国行きのスロウ・ボート』に『ニューヨーク炭鉱の悲劇』というのがある。
「僕」が喪服を借りた友人が、雨になると動物園に出かけるという比較的奇妙な習慣があった。
物語のアウトラインは別にして、僕は「僕」を通して語られるこの友人と、その比較的奇妙である習慣を実践している場面が、とても印象に深い。

雨の日の動物園にいたという経験を持つ人は、そこそこいるんじゃないだろうか。
だけどもそれは、積極的に雨の日をチョイスしたわけではなくて、出かけたら雨が降ってきた、というようなことではないかと推測する。
レジャーに雨の日を積極的にチョイスする理由など、まず見当たらないからだ。

僕も動物園に出かけたら雨が降ってきた、という経験がある。
そこで思い出したのが、この短編小説だった。

「僕」の友人は軍の払い下げであるゴム引きのポンチョを被り、動物の檻の前のベンチに腰掛けビールを飲む。
そのとき、友人には何が見えていたのだろう。
僕はそう思ってしまったのだ。

生憎ビールはなかったのだけど、フランス軍放出のゴム引きパーカを着ていたし、本降りになるつつある雨の中では檻の前にあるベンチも空いていた。
僕は自販機でビールの代わりに缶コーヒーを買い、猿の檻の前にベンチに腰を下ろした。
小説と同じように猿は何かに腹を立てているようだった。
キーキーと叫び檻の中を目まぐるしく動き回っていた。
僕は何に腹を立てているのか理解しようとしてみたが、缶コーヒーが終わるまでには理由が見つからなかった。
僕が猿ではないからだ。

断わっておくが、同伴者には先に雨宿りをするように言っておいた。
「僕」の友人は一人で動物園に行くが、僕は雨の動物園が目的ではなく、同伴者と共にレジャーが目的だった。

僕は猿の気持ちを理解するのをあきらめて腰を上げた。
奇妙な高揚感があった。
そこまでで分かったことといえば、僕には猿の気持ちは理解できない、ということだけだった。
あとは縫い目から染み込んでくる雨が首筋を伝ってTシャツを濡らして寒かったことと、清掃係りの人にかなり驚かれたことくらいだ。
その高揚感の理由は見つからなかった。
しかし確実に足取りは軽くなり、同伴者に再会したときにも笑顔で話していたと思う。

「僕」の友人は何をみていたのだろう。
疑問は残ったが、その代わりに僕は人生において大切なことを知ったのだと思う。

結局誰かの気持ちを分かろうとするのは無理だ、ということ。
何故なら僕は、猿の気持ちすら理解できないのだから。