Daido Moriyamaというシュミレーション

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「デジカメ画像は弄らない」とか言っときながら、いったいどの口が言うのかってハナシだが(笑)、iPhoneのアプリで加工した写真が格好よすぎる。
結構以前から使ってはいるが「Film Lab」というフイルムシュミレーションのアプリだ。
カラーネガからポジ、モノクロフイルムまでをシュミレートできるのだが、フイルム風には目もくれず、僕はその名も「Daido Moriyama」という(笑)シュミレーションをひたすら使っている。 

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大道さんに言わせれば、こんなのはどうだっていいことなんだろうけど、大道さん初期の「アレ」を再現している様々なアプローチや方法の中では(僕が知っている中では)一番のデキだ。
とにかく「思い切りがいい」
これでもかというくらいハイライトを飛ばしシャドーをつぶす。 
グラデーションになっているところは粒子になって残るだけ。

アプリの中には3パターンくらいの「Daido Moriyama」があって、コントラストの高さを選べるようになっている。
大道さん風を目指している方、これは一回経験しとくべきだと思いますよ~。 

A NEW STYLE WAR

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Bombs carried through the underground
Terrorists cultivated by nations
Minitary satelites in the stratosphere
It’s a new style war

The satiated north supported by
Poor lands of the starved south
It’s too expensive for them
Soon it will be a new style war

Provery to discrimination
Anger to viorence

To accept or to confront
Nowhere to run away
It’s a new style war

Cracking nuclear power
Melting in the rain
Riding on the wind

To be submmited or to stop
Nowhere to hide
It’s a new style war

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Love is sometimes too weak
Freedom included in the system
Just measured by the balance
It’s a new style war

生きる

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生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

谷川俊太郎「生きる」

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自戒

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いろいろと無理をしている。
もちろん、これは僕に限ったことではない。
今や日本国中が多かれ少なかれ無理をしている。
仕事や家庭、学校や病院。
ショックが抜けきらないまま過ごした半月あまりは、とても早く感じたのではないだろうか。

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誰かを非難しても現状は変わらない。
非難されるべき人たちは居るにしても、今糾弾してみたところで、家財一切を失った人の手助けにはならない。
分かってはいるけれども、尖ってしまった心は誰かを傷つけずにはいられない。

とあるサイトで、現地に緊急医療チームとして派遣された看護士の手記が載っていた。
避難所で仲良くなった6歳の女の子。
サンタさんが今年も来てくれるか不安がっていたそうだ。
きっと来てくれるよ、と言った後、何が欲しいの?と尋ねると「おうちとママ」と言う。
ママは瓦礫の下から彼女の大事にしていた絵本や人形を詰め込んだリュックを抱えて遺体で見つかったのだそうだ。

福島では摂取制限が支持されたキャベツ農家の方が自殺したとのニュースを聞く。
昨日、もう誰も死なないこと、と書いたばかりなのに。
原発の問題は人災でもあることが誰の目にも明らかになった。
だが原発があるからこうなってしまった、という結果論を議論するのであれば、いつのころからか無くなってしまった夏場の電力予報に誰か注意を払っていただろうか。 

僕はもう原発について書くのはこれで最後にしようと思う。
せめてママとおうちをなくしてしまった女の子に笑顔が戻るまで。
自ら命を絶ってしまった農家の方の魂が救われるまで。