フイルムあれこれ

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たまには写真の話でも…。

ニコンF3がメイン機だった頃、28mmから50mm、105mm、180mmと55mmマクロをドンケに詰め込んで、何処にでも行っていた。
F3もMD-4を付けていたから、そのドンケは立派に凶器として通用するほどの重量だ。
その頃、フイルムはポジオンリーだった。

コダクローム64やフォルティアなど個性的なフイルムが沢山在った頃だ。
まァ僕は値段からいってベルビア100Fかプロビア100Fだったけど(笑)

モノクロ現像のやり方は知っていたし実際にやったこともあったけど、本気で自家現像を始めたのは、その後だ。
いつものプロラボに、たまたま撮ったモノクロネガを持ち込んだら、上がりが3〜4日後(当時)だと言われたのが直接の原因。
カラーネガやポジ(今はカラーネガも即日ではなくなった)は3時間もあれば出来るのに、モノクロだけが、そんなに時間がかかるのが納得できなかった。
じゃ自分でやるか、と。
その足でタンクやポリビン、メスカップなんかを買いに行った。

モノクロフイルムの自家現像は、単純に現像するだけなら難しいものではない。
温度管理や時間をきちんと計る必要はあるが、あまり神経質になる必要もない。
もちろんきちんとデータをとるつもりなら恒温バットとかを使うこともあるが、普通に現像できれば良いというのであれば、少々温度が高くても若干時間を切り詰めれば問題ない。

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近頃はカラーならデジタルにする。
中判はカラーネガも好いのでマミヤではカラーもモノクロも使うが、基本的にカラーはデジタルにしている。
デジタルカメラはカラーが基本なので、それをわざわざモノクロにすることもしない。
モノクロならモノクロでしか撮れないフイルムがあるのだから、手をかけてモノクロにする意味が分からないのだ。
ましてやデジタル画像を「銀塩写真風」にするのは更に意味不明である。

銀塩写真風にすることはないが、デジタル写真はポジフイルムでの撮影に似ていると感じる。
ポジフイルムはネガフイルムに較べラチ(デジタルならダイナミックレンジ)が狭い。
シャドーは潰れやすいし、ハイライトは飛びやすい。
ポジフイルムを使う際に「キレイなものはプラス補正、ごちゃごちゃしたものはマイナス補正」と覚えていたが、それがそのままデジタルにも活きると知って、尚さらその思いを強くした次第だ。

モノクロフイルムも増感をデフォルトにしていた時期もあったが、今は適正露出で適正現像を心がけている。
モノクロは手焼きすることが前提なので、良いネガを作っておけば焼く段階で様々な調整ができる。

マミヤを持ち歩く時は別だが、他のカメラの場合は身軽なのを身上にしている。
とにかく歩くので、重いのは困るのだ。
カメラ男子などと嘯く歳ではないが、何事も自然体であるのが一番なのである。
まァこれが一番難しいのではあるが。

百年

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金八先生とフジの特番をあっちこっちしながら見ていた。
まァ、賛否はいろいろあるんだろうけど、どちらも趣旨がはっきりしていて、お笑い(笑えませんが)とも歌手とも役者ともつかない連中が、楽屋ネタをオンパレードする番組よりはイライラしなかった。

フジの特番は一青窈の「ハナミズキ」が染み入った。
以前から好きな歌ではあったけど、殊更「君と君の好きな人が百年続きますように」という歌詞が、この所感じ続けてきた何となく荒んでしまっている気持ちにやんわりと降り積もるようで、自然に涙が溢れてきた。

金八先生は初期のものがほぼリアルタイムであったので、何とも懐かしい気持ちで見ていた。
第二期であった「腐ったミカン」シリーズの面々も顔を揃えて出演していた。
最後に出席を取るシーンで、シリーズの中心であった加藤が呼ばれる。
経年劣化(?)で様相がずいぶん変わってしまったのは自分とて同じだろう。
松浦がそこにいないことが何とも悲しかった。
先生が「色んな事情でここに来られなかった人」として、涙ながらに「あなたたちのおかげで、私は金八先生であることができました」とスピーチしたのは、台本ではなかったような気がしている。

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今は、何が正解で何が間違いということすら明確でないかも知れない。
「やらない善意よりもやる偽善」なんて言葉が脳裏を掠める。
黙々と被災者の人たちに物資を届ける人、実際に現地に入って活動を続ける人、募金を募る人、物資を募る人。
いろいろな思惑があり、逡巡があり、葛藤がある。
主張があり、またそれに反論する主張がある。

よく聞いてみれば、それはすべてが正論であるし間違いでない。
現状では判断などできないのだと思う。
まだ何も終わってはいないのだから。

ただひとつだけはっきりしていることはある。
それは

「もうこれ以上、誰も死なせてはならない」

ということ。

風の音

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風の音と鳥のさえずりを聞き、落ち葉を踏みしめながら、首からカメラを提げて歩くのが好きだ。
ぽちりぽちりと気に入った場所で歩みを止め写真を撮る。
あくまで見える範囲だけ。
300mmのレンズで迫ったり、等倍マクロで躙り寄ったりしない。
70cm先から見える範囲だけ。

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独りになるのは大事なのだと思う。
現代では自らその為に行動しないと独りになるのが難しい。

天気が良く暖かい日は言うまでもないが、今にも泣き出しそうなどんより曇った薄ら寒い日も好い。
ポケットに手を突っ込みながら、普段よりもゆっくり歩く。
池の向こう岸を眺めていると、ふと向こうの森が霞み始めた。
雨だ。

僕は36コマ目を霞みに向けて露光した。

相似形

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いつもの土曜の午後。
毎日見上げるハクモクレンはきれいに花をつけている。
今日は春にしては寒い日だった。

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あまりの寒さに、少し休憩して本でも読もうと立ち寄ったカフェ。
満席に近い店内でようやく見つけた席は彼女の横だった。

隣、いいですか。

僕が声をかけると一心に読んでいた本から顔を上げて

「はい。どうぞ」

と答えた。
図抜けて美人ではない、というのは失礼だろうか。
でも、彼女の周りの空気は適度に湿り気を帯びていて、その声はとても好い響きを持っていた。
横顔を見ると、あごからくちびるへの丘陵が実に見事だった。
静かにシャッターを切る。

ハクモクレンとカフェの彼女。
この二枚は相似形である。