A miss is as good as a mile

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明日あたりからは家事の年末進行が始まるので、ブログ更新も侭ならない、というか写真を撮る暇がないと思われるので、今日はM5で撮り納めをしてきた。

今年もこんな(↑)写真ばかりを撮ってきた。
自分で改めて眺めてみても、もうこんなんばっかりで笑ってしまうくらいだ。
でもまぁ…。
それもこれも含めて自分の写真なのだから仕方がない。
多分来年もこんな写真ばっかなのだろう。

身の丈というか、丁度いいということが今年はまるで自分のテーマのようになっていた。
写真のことだけではなくて、生活すべてに於いて。
丁度いいというのは実に難しい。
というのも、世の中に僕にとって丁度いいという基準で準備されたり作られたものなどないからだ。 
となれば、今度は自分を合わせるしかない。
でもそれって「丁度いい」ってことなのか?と。

運良く他の基準で作られたものが自分に合っていたとしても3日もてば良い方で、自分の中の基準など、もはや基準とすら呼べないくらい流動的である。
そんな不確かな線引きで物事を判断してしまって良いのか。
自分はもっとやれるのであって、周囲の空気から線を引いてしまっているだけではないか。
否、寧ろ逆で、自分は全然やれないのであって、周囲が期待するから其処に線を引いてしまったのではないか。
ぐだぐだ考えながら呑む酒は一向に酔えない。
そんな晩がいくつかあった気がする。

あらゆる価値は相対的である、というのは高校生くらいからの銘だ。
10代の頃にそれを言ってしまったので、僕はその後をずいぶんと醒めて過ごしてきた。
ガールフレンドの何人かは呆れて去っていったし、僕はそうして過ごす事に何か意味があるような気すらしていた。
もちろんそんな事に意味などない。
相対的であろうと絶対的であろうと、夜になれば朝は来るし、新しいガールフレンドができれば食事をして、ビールを飲んで(これは僕だけだが)ベッドに入った。
僕は実際には意味を求めていたのではなく、そうする事で世の中と渡り合おうとしていたのかも知れない。

画して僕はあっさりと、いとも簡単に飲み込まれた。
相対的だ、と言い切るには多くを求めすぎたのかも知れない。
その言い訳に僕は自分に対して「丁度いい」などというお為ごかしを思いついた。
村上春樹流にいえば「やれやれ」である。

ほっといても2012年は来るようだし、じたばたしても無くしたものは戻らない。
もう出家でもしようかな…(笑) 

4 thoughts on “A miss is as good as a mile

  1. Terakura様このたびは、大変嬉しいメッセージを頂戴し、まことにありがとうございました。私こそ、Terakuraさんの静かなモノクローム写真に、いつも気分を落ち着かせてもらっております。この写真もM5だそうですし、Tri-Xとかマキナとか、写真好きなら誰でも心躍る文字を見つけ、なんともうらやましいの一語です。お気づきの通り、私は、今はギャラクシーで撮ったお天気写真を、淡々と日々メール送信して更新しております。まさしくPosterousの宣伝通りにやっております。これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。このたびは本当にありがとうございました。

  2. ykuniiさんこちらこそいつもみて頂いてありがとうございます。好き勝手を書かせて頂き、まさに自己満足の真骨頂のようなブログですが、これからもご愛顧のほどを。

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