砂上の楼閣

6606182301_daed6f9459_b
6606188047_2fe38d3ca5_b

今年最後の1本。
ペンタコン、フレクトゴンで。

まぁ3月からこっち、今年は大変な年だった。
テレビなんかで言ってる事だけじゃなく、これはもう各論的な大変さであるはずなので、一括りにしてお題目を唱えて「がんばろう」なんていうのは申し訳なくて言えない、というのが僕の本当である。

幸いにも僕が暮らしている地方には大した影響がなかった。
でも何年も前から東海・東南海地震での危険性が指摘されている地域であるし、それは明日、否今起きてもおかしくないという。
これはもう数十年来言われ続けてきた事で感覚が弛緩していたのは否めない事であるので、ある意味では横っ面をはり倒されたような衝撃があった。
ひとたび巨大地震が起きたらどうなるのか。
一目瞭然、百聞は一見にしかず。

人というのは愚かしい動物である。
野生の動物でも種の保存には命を懸けるのに、未だに同種での殺し合いを何だかんだと理屈をつけて繰り返している。
一つの物の見方として、あるいは人間を考える前提として「愚かさ」はかなりランキングの上位で挙げられるだろう。
しかし物事には様々な側面がある。
これがなければ人類は疾うの昔に淘汰されていたかも知れない。
愚かに見える諍いこそが自然の摂理だという見方もあるはずだ。

今年日本の東北から関東にかけて甚大な被害を伴う災害が起きた。
恐らく、これから先に我々が学ぶのは、この字面だけだろうと思う。
まるでテストの答案のような文字の羅列。
そうして、ある意味ではかなぐり捨てるように忘れないと前には進めないのも知っている。
これ程までに愚かで、これ程までに愚直で、直向きな生き物が人間であるのだ、と思う。

何度流されても再び砂上の楼閣を砂浜に作り上げる子どものように。