昨年に訪れた京都・詩仙堂丈山寺は、リンクを貼った JR のコマーシャルの通り、戦国武将で有った石川丈山が結んだ古刹で有る。
この石川丈山は三河国泉郷 ( 現在の安城市和泉町 ) の松平家に仕える譜代武士の家に生まれた。
生家では無いが、生誕の地と云う事で此処には丈山苑と云う施設が有る。
詩仙堂をイメージした物で唐様庭園や添水が有り、其の静けさは確かに詩仙堂を彷彿とさせる。
石川丈山は武士で有った。
「有った」と書いたのは、丈山は武士を辞めたからで有る。
家康に仕え、大坂夏の陣では一番乗りを果たす武勲を挙げて居るのだが、此の時の家康の軍律に背く結果に成った。
其の為に丈山は蟄居を命ぜられる。主君の為に命を賭して戦っても報われる事は無いと思い知る。まァ有り体に云えば「愛想が尽きた」訳で有った。
其所で武士を辞め出家、儒学を学び、和歌山や広島の浅野家に仕官した後、京都・一乗寺村に凹凸窠 ( おうとつか ) を結び、此処を終の住処とした。
コマーシャルの通り「色々有った」ので有る。
凹凸窠には三十六歌仙に倣い、三十六詩仙を選び、その肖像を狩野探幽に描かせて掲げて居た。詩仙堂とは此の故有って付けられた。
此処、丈山苑にも三十六詩仙の複写が掲げられて居る。