コマフレア

CV NOKTON Classic 40mm F1.4 SC, FUJIFILM X-Pro1

こういうのは恐らく正道ではないと思うのですが、どうです?この暴れっぷり。
この傍若無人さに味をしめてしまうと、普通に撮れるレンズが物足りなくなってしまうのです。
気がつくと、僕が持っているレンズはこういうタイプが多くなっています。
ニコンの 50mm に至っては F1.4 ではなく、わざわざ F1.2 を使うような始末。
これは重篤であると言わざるを得ません。

もちろん絞ればキレイに写るレンズです。
絞りによって随分画が変わる代表的なレンズと言えるでしょう。
これは範にしたと言う SUMMILUX 35mm F1.4 も同様です。
でも開けたくなりますよ、これは。

夜行

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( 写真は昨年の二月七日の物 )
こちらのブログを拝見していて、ふと脳裏を過る記憶があった。 

夜汽車の経験は数えるほどしか無い。
学生時代に北海道へ行くのに旅費を節約する為、行きは列車を選んだ。
金は無いが時間は腐る程あった、と言う幸せな時代である。

正確には夜汽車では無いが、東京から名古屋に戻る場合は殆どが日没後の列車になる。
この路線は、恐らく通勤以外では一番多く乗っている路線では無いかと思う。
只、其の中でも未だ忘れ得ぬ乗車がある。

僕は一度だけ「都落ち」の経験がある。
志半ば…と書けば格好も付くが、実際は気持ちと体が仕事に付いていけなくなったのだ。
其れがあるまで、僕は「無敵」であった。
出来ない事など無い、とばかりに、今思えば相当に無茶な事もした。
根拠など無い自信に裏打ちされた物など、強大な現実の前にはいとも簡単に崩れるのだが、当時はそんな単純で、しかも確実で強かな道理に気付きさえもしなかった。

失意のどん底 ( これも今から思えば「底」ですら無かったのだが ) で新横浜のホームに立った。
新横浜は、今でこそ首都圏の便利で華やかな駅の様相を呈しているが、当時は街外れの、事に縁れば寂し気ですらある駅だった。
平日の終電間際、いっそ終電であれば案外と込み合うのだが、下りのホームの人影は疎らであった。
僕はどういう訳だか、もう二度と此処には来れないと思っていた。
「来れない」ではなく「来たく無い」だったかも知れない。

見送ってくれる人も居らず、半ば呆然としたままで、僕はやがて来る新大阪行きをぽつねんと待っていた。
明日の事すら分からない。
其れがどんなに心細く、そして現実に自分自身がそういった状況に置かれている事に、僕は納得も出来ず、何か夢でも見ているかのように感じていた。
誰かが慰めの言葉をかけてくれる度に「負け」とか「敗者」という言葉が過る。
意気揚々と上りのホームに降りたあの日がまるで遠い昔のように感じた物だ。

今なら品川から乗っても新横浜辺りでは眠気が襲ってくるような物だが、その日は名古屋までうつらうつらとすらしなかった。
自宅に帰るのに、此れほど重い気持ちであったのは経験が無かった。
豊橋を過ぎた頃、僕はようやく乗車からずっと握り締めていて、すっかりくしゃくしゃになってしまった乗車券に気が付いた。
掌にはじっとりと汗をかいていた。

人生の中の、良く在る些細な一齣である。
其れから後にも、此れを上回るような失意や苦しみも何度も味わい辛酸も嘗めた。 
生きると言う事は生易しい事ではない。
ようやくその境地に一歩進んだ事に気付いた二時間弱であった。

ポイント アンド シュート

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ヨドバシのあのサイトにある「レンジファインダーな人達」に紹介されていたScott Tsumuraさんも書かれていたが、ライカというかスナップシュートするカメラ全般には「Gun(銃)」に通じるものがある。

わが国において合法的に銃が所持できる状況は極めて特殊な例を除いてはほぼ皆無だ。
これは戦後に刀狩りならぬ銃狩りを行った成果であって、現在においても銃刀法によって厳しく管理されている。(では戦前は誰でも持てたのか、という疑問があるが、持てたとしてもかなり高価なものであった。もちろん法的には民間人も許可制で所持が可能)

そんなわけで日本人(カタギの人)が実銃に触れる機会は、自らが進んで機会を得ない限り一生ないと言ってもいい。
知らなければ知らなくていい事だし、僕はガン・コントロールが行き届いている国に生まれて良かったと思っている。 

ところが男の子はああいうのに弱い(笑)
僕が子どものころはテレビでは刑事ドラマが流行していて、松田優作やら渡哲也やらがバンバン撃ちまくっていた。
映画でもクリント・イーストウッドが”make may day”とマグナムをぶっ放し、アニメでもルパン三世がワルサーP38をふところに忍ばせていた。
僕もご他聞に漏れずガン・ナッツになった。

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あんまりヲタなネタを披露しても引かれるだけなので、銃の細かい話はサラッと流しておくが(一晩でも大丈夫)、映画やドラマのプロップ(小道具)に使われるステージ・ガンが、ピストル(日本では拳銃はすべてピストルと書かれたりするが、正確には自動拳銃がピストルで回転式はリボルバーという。ちなみにマスコミがよく使う「短銃」というのは対義語として「長銃」がないので正しいとは言えない)の場合にきちんと排莢(撃つと薬莢が飛び出る)されるようになったのはうれしい限りだ。
昔のなんかスライドが動くどころか排莢もなく、ハンマーが落ちたままのピストルから何発でも弾が出ていた。

で(笑)

スナップシュートというくらいだからShootingである。
置きピンでさっとファインダーを見て撮るというのは、まさにクイックドロー(早撃ち)の世界である。
特にRF機でバシバシと続けざまに撮っていくのはポイント・アンド・シュート、3点バーストのサブマシンガンなら1眼レフのモータードライブの連射に近い。

ハード面から言えば、例えばドイツ製ということであればライカとワルサーやルガー、マウザーなど。
今どきならH&Kもドイツだ。
日本では小火器の製造販売は行なわれていないが(狩猟用のライフルなどは除く)、カメラや自動車の例を見るまでなく、もしも行なわれていたなら世界でも指折りのメーカーが誕生していたはずである。

マガジンには36発の実弾、脊髄反射のように電光石火でシャッターを切る。
実際はまったくヨロヨロしているわけだけども(笑)