iPhoneからはこれ。
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想望
得心
動物園
OLYMPUS LENS 15mm 1:8.0
新作が話題の村上春樹氏である。
「 1Q84 」を読み終えるのに一苦労した経験から新作には手を出せない。
あの頃 ( というのは高校生時分 ) に読んだ「風の歌を聴け」の村上氏からは、僕が感じる物がきっと違ってきているのだろうと思う。
そんな事をぼんやり思いながら書棚にある何冊かの村上作品を手に取った。
初期の鼠三部作を除いて、僕が何度も読み返したのは「中国行きのスロウボート」「パン屋再襲撃」だと思う。
思いついてググってみたら自分のブログの記事が出てきた。
この「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、実にたくさんの暗示を僕に投げて遣した。
詩人は21歳で死ぬし、革命家とロックンローラーは24歳で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。( 中略 )
我々は髪を切り、毎朝髭を剃った。我々はもう詩人でも革命家でもロックンローラーでもないのだ。酔払って電話ボックスの中で寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、朝の四時にドアーズのLPを大音量で聴いたりすることもやめた。
高校の現代国語の教師が言った「文学者は稲門を中退し、結核で死ぬか自殺する」と言うのも加えていいかも知れない。
僕は跳ね返すタイプではなく、どちらかと言えば受け入れるタイプだ。
どうしてなのかは知らない。何せ性質なのだ。
だから、という事ではないと思うが、いつも僕には「閉塞感」がある。
実際、この文章を書いている最中であっても、もっと書きたい事は他にあるように思えてならない。
そんな細々した葛藤をも受け入れようとするから性質が悪い。
そのうち僕は葛藤だけで腹一杯になってしまうのではないだろうか、と思うほどだ。
そんな風に考えてしまうのは、きっとこの暗示が正体ではないだろうか、と思った。
本当に残りの空気は少なくなってきているのかも知れない。