寒の入り

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年始挨拶やら何やらでどたばたしてて落ち着かない。
これも毎年恒例といえば恒例。
そんなこんなで気がつきゃ2月で節分、なんてのも毎年のこと。 

うっかり出し忘れていた人から年賀状をいただいて、返信しなきゃと思ってるうちに本日6日。
明日までに出さないと年賀状ではいけないらしい。
こちらから年賀状が届いてない!と仰る方、寒中見舞いということで勘弁してやってください。

今日は「寒の入り」
本格的な寒さはこれから、ということか。
日本海側では記録的な大雪になってる所もあるそうで、何でもラニーニャ現象の影響だとか。
ラニーニャだかラザニアだかラダニーバだが知らないが(食い物でも車でもない)、毎年「記録的」な自然現象が起きるようになってしまった。
何だか凄まじい国なんだな、わが国は。 

 

NEWS

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仕事初め早々、嫌なニュースが飛び込んできた。
写真・映像をやる人やそれに従事する人には聞き逃せない、コダックの業績不振に関わるニュースだ。
報道にはNY証券取引所からの上場廃止、数週間内での破産法申請が取り沙汰されている。
経営の足を引っ張っているのがフィルムの製造販売だけではないと思うが、どう考えてみても採算の取れている部門ではないので、仮に何所かが買収したとしても、真っ先に切り捨てられる部門ではないかと思われる。

ご存知のようにフィルムの製造販売は縮小の一途である。
撤退が相次ぐ中、フジフイルムやコダックは粘り強く継続してくれているが、ここにきて最大手が力尽きた感がある。
こうなるとコダクロームの製造販売中止なんていうニュースは生易しいものだったと思う。

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現在でも小ロットながら製造を続けているメーカーはあるし、恐らく今後も(仮にコダックがなくなったとしても)、需要がある限りはそういう供給体制が存続していくだろう。
現在、フィルム製造販売で苦境に立たされている会社は「すべての写真がフィルム」だった頃の採算ベイスで商売を続けたしっぺ返しを受けているのであって、「ほとんどの写真がデジタル」の時代での採算ベイスを取っている会社は余力でフィルム製造販売をしているか、あるいはもっと規模の小さい会社に外注を出しているはずだ。
そういった創意工夫なしに新時代を乗り切っていこうというのは素人目に見ても無理がある。 
ある意味では自然の流れであると思うし、週に1本も使うかどうかの僕がとやかく言えるような話じゃない。 

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こうなると「フィルム写真の危機」とか「フィルム文化の終焉」とか言われるのだろうけど、それでなくなる文化なら最初からなかったに等しい。
文化はサプライヤー側が創るのではなく受け手の方が創るものだ。
それくらいの覚悟や思い入れがなければ、それは文化などではない。
文化というのは字面ほどアカデミックなものではなく血と汗と涙の歴史だ。 
文化を存続させたいと思うなら、それ相当の血や汗を流さなくてはならないだろう。
もしコダックがフィルム製造販売を止めたとして、次に粉骨砕身するのは「文化」を口にする者なのだ。

どうでも良いけど、SWHを35mmで使うと、絶対一枚は指が写っちゃうんだよなぁ…。 

視覚

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さすがに年の瀬。
仕事はすでに休みになっているのだけど、雑用がどっさりと残っていて、日常勤務のある日よりも忙しい(笑)

写真は昨日の撮り納めのものだ。
岡崎・板屋町の旧赤線街だが、ここは以前にも訪れている。
地図で見ると広い道路が突然狭い路地になっていたり、屋根の庇に灯りを付けるソケットが残っている建物が現存していたりと、そこかしこに面影を垣間見ることができる。
以前に訪れた時とそれほど変わった様子はなく、何となくほっとしたり。

ファインダを覗いてブライトフレイムでフレイミングするというのは何のレンズでも同じことだ、というのはセイケトミオ氏の言っていたことだが、僕も全く同意見で、広角だからとか何mmあるから、という前口上はあまり意味がないと感じている。
引きが取れない場所なので建物全部をフレイミングすることはできなかったが、僕が見ていたのは確かにこれらそのものだったし、例えばもっと広角であってもこの被写体を中心にして撮っていたと思う。
僕が自分の写真について、今年変わったな、と思うのは、この割り切りができるようになったことだ。
昨年までであれば、50mmでも何とか建物全景を撮ろうと、ひたすら下がって撮っていたが、今年になってからはフレイムに収まるものだけを撮るようになっていた。
それで撮れないものは撮らない。
そういう割り切りができるようになったのは、やはり大きな変化であったと思う。

そういった変化は何も、今年だから、とか時間割のように年次で訪れるものではないが、加齢以外にも視覚においての変化はあるのだな、と実感している。