ネットサーフィン(死語)をしていたら、仕事でちょくちょくお邪魔している瀬戸市にも赤線跡があるという。
これは是非とも行かねば、とあれこれ資料を探してみても、殆ど(そういった物があった)という程度の物しか見つからない。最盛期はどれくらいの店数だったとか、どれくらいの人数の娼妓が居たとか、中村遊郭ではいとも簡単に見つかったのだが、城東園と同じく場所すらはっきりと分からない有様だった。
こういう時には先にも書いたが案ずるよりも産むが易し。ひとまず出かけてみるに限るのだ。
いろいろサイトや資料を調べてみて、だいたい見当を付けた場所が「新開地」近辺。
こういった場所は表通りに面していることがまずないので、新開地交差点から一本裏の道を歩いてみる。
するとほどなく、いとも簡単にそれと分かる区割りのエリアを発見した。
他の場所では旅館があったり飲食店があったりと、割合目印になる感じの物があったのだけど、ここは全てが民家となっているので、注意を払っていないと見過ごしてしまうかも知れない。
同じ高さの建物が並び、当時の建物にしては二階部分の高さがある。
これは西側から東を望む写真。東端は瀬戸街道に面していて、街道からは斜めに入る脇道になっている。
こちらは東側から西へ。イオンの看板が目印になる。
突き当たりに保育園があるが、この場所には検番があったという。
一番上の写真の家が当時の面影を一番残している家かも知れない。よく見ると、玄関脇の壁がひょうたん型に抜かれている。
二番目の家屋も玄関の飾りが面影を色濃く残している。
区割りには、かつてここはそういった場所だったということは感じるが、殆どすべてが民家であるために雰囲気はずいぶん違っている。
特徴が残るのも先の二軒くらいである。
ただ近隣にはかなり古い民家を幾つか見かけた。
昭和初期には花街として、戦後は進駐軍相手の色街として栄えた場所。もう少し丹念に調べれば、姿形がはっきりしてくるかも知れない。