披瀝

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Leitz Elmar f=9cm 1:4

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Jupiter-12 35mm F2.8, KENTMERE 400, Leica M3

遥か遠方に見える火力発電所。
盆も正月も無く、二十四時間煙を吐き続けて居る。

難しい話は良く分から無いが、発電所と言う物はタービンを回して電気を作るのだと聞いた事が有る。
火力だろうが、水力だろうが、風力だろうが、結局はそれでお湯を沸かして、其の蒸気でタービンを回すらしい。
聞き齧りなので、間違っていたら御容赦を。
素人の戯れ言序でに、其れだけの事で有れば、例えば圧縮空気で生まれるエネルギィを転化出来ない物だろうか。
巨大な設備が必要だとか屹度何かしらの問題が有るのだろうが、然う言った困難を持ち前の技術力で乗り越えて来たのが日本では無かったか。

池上氏の解説を聞き乍ら、ふとそんな事を考えていた冬休み最後の夜。

岩津天満宮

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Leitz Summaron f=3.5cm 1:3.5, KENTMERE 400, Leica M3

各所に在る北野天満宮は学問の神様で在らせられる所の菅原道真公を御祀りして居る事はご承知の通り。
菅原道真公とは平安時代の貴族で有り、醍醐朝では右大臣にまで昇り詰めたのだが、左大臣藤原時平の策略で謀反の疑いを掛けられ、太宰府に権帥として派遣される。
体の良い左遷で有る。
現在で有るならば九州転勤は珍しい事では無いが、時は平安の時代で有るので、再び京へ戻る事は可成り困難なのは容易に想像出来る、
道真公は失意の侭、59 歳で没す。2 月 25 日の事で有ったと言う。
遺体を運ぶ途中「安楽寺」と言う寺の前で牛車が動かなく成り、弟子は仕方無く其所に遺体を埋め祠を作る事にする。
此れが「太宰府天満宮」の開基と成る。

道真公は京に祟りを為したる事でも名を知られる。
羅列して見る。

菅原道真公を左遷させる陰謀に加担した中納言「藤原定国 ( ふじわらのさだくに・藤原南家 )」が 40 歳で急死。( 906 年 )
左遷が決定した際、「醍醐天皇 ( だいごてんのう )」に直訴するため裸足で駆けつけた「宇多上皇 ( うだじょうこう )」の行く手を阻んだ「藤原菅根 ( ふじわらのすがね・藤原南家 )」が落雷で死亡。( 908 年 )
左遷に追いやった張本人「藤原時平」の両耳から蛇に化けた菅原道真が現れ、その蛇を退散させるために色々と祈祷させるが全く効果は無い所か、逆に蛇と成った菅原道真公に一喝されて祈祷師は退散して終い、到頭藤原時平は狂死。( 909 年 )
貴族達の集団職務放棄の中心人物だった「源光 ( みなもとのひかる )」が狩りの最中に底なし沼に乗っていた馬ごと落ちて行方不明。( 913 年 )
醍醐天皇の皇子で皇太子でも有った「保明親王 ( やすあきらしんのう )」が 21 歳で急死。( 923 年 )
保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となった「慶頼王 ( よしよりおう・保明親王の子 )」が5歳で死亡。( 925 年 )
と、枚挙に遑がない。

朝廷は道真公の怨霊を鎮め様と、左遷の詔に関する全ての書類を焼却するも、此の火が周囲に燃え移り、其の場に居た者を焼死させる事件も起こる。
其の後にも疫病や干魃、飢饉が続き、対策を練っていた 930 年 6 月、会議場で有った「清涼殿」に落雷、大納言「藤原清貫 ( ふじわらのきよつら )」ら 5 名の貴族・女官が死傷するに至り、朝廷内は道真公の怨霊の噂が実しやかに囁かれる。
此の落雷の後、醍醐天皇は体調を崩し、8 歳の皇太子「寛明親王 ( ひろあきらしんのう )」に在位を譲り「朱雀天皇 ( ずさくてんのう )」が即位するも、其の一週間後に醍醐天皇は 46 歳で没す。( 930 年 )
更に、藤原時平の長男「藤原保忠 ( ふじわらのやすただ )」も狂死。( 936 年)

幾ら偶然が重なったとは言え、左遷に関わった人物が尽く死亡する様は、朝廷を震え上がらせるに十二分で有った。
斯うして道真公は早良親王と共に、平安京の二大怨霊として知られる様に成った。

では何故、道真公が「学問の神様」として祀られる様に成ったか。

道真公自身、非常に聡明で 33 歳で「文章博士 ( もんじょうはかせ )」と言う当時の学位を取得して居る。
類を見ない出世で有ったが、此れが悋気を買ったと思われる。
出る杭は打たれるの諺通りの左遷で有った。

道真公没後、何名かの元に亡霊として現れ、右近馬場辺りに祠を作る様求める。
此れが「北野天満宮」の開基に成る。
前述の通り、当初北野天満宮は雷神、御霊を祀る神社で有ったが、後の文章博士が道真公の徳を祈願文にし、以降は学問の神として祀る様に成ったとされて居る。

偖、此処からは蛇足で有る。
当家の家紋は「下がり藤」で有る。
此れは紛う事無く藤原氏系で有る証で有る。
と成れば。
合格の祈願とは言え、藤原の流れの者が菅原公に … と言うのも些か気が引け無いでも無い。

尤も、神社も商売気を出し過ぎの感は有るが ( 笑 ) 

Interlude

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会議漬け。
会議の在り方みたいなのが2年位前にあって、それからは一つの会議は1時間以内となっている。
たまたま今日はそれが5つくらい重なった。
会議が終わると次の会議のための準備、それを繰り返してると何の会議だったのかすら危うい。

ちょっと写真の話でもすっか…。
朝書いたエントリのように、このtextyleでは銀塩写真もデジタル写真もiPhoneで撮ったの以外は載せないつもりだったんだけど、まぁ何というか非常にバランスが悪い。
flickrのコンタクトの方はご存知だろうけど、僕が結構量産するタイプなので(含 駄作)、ストックしておいたflickrの写真が捌ききれない。
なるべく旬のうちに出したいとは思うのだけど。

で、じゃtextyleの方は「シバリなし」ってことにするか、と。
どうだっていいんだけどもさ(笑)

で、twitterつながりの方から譲っていただいたRollei35SE。
テッサーのヤツとトリオターのは前に持っていたんだけど、ゾナーのは初めて。
いまさらローライ35とは?みたいなことは書かなくていいと思うんだけど、ものっそいちっさいカメラ。
ちっさいけど金属の塊なんで案外ずっしり。 
SEはファインダ内にLEDの露出表示がされるヤツで、ファインダを覗きながら絞りやらSSやらのダイアルを指で操作するんだけど、それ自体がちっさいから、そのたびにイラッ。
誤作動防止用に絞りのダイアルにはロックがついてんだけどね。

距離計はなし。
つまり目測。
写真は1m。ほぼ最短距離だけど、絞りがf/8くらいなのでざっくりと。
2~3mくらいの距離感はスナップをやる人なら大体分かるよね。

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これで1mの絞り開放。
手の長さを基準にして1m、と(笑)
ボケ味がどうだのってのは僕には分からんので、こんな感じってことで。
背景が煩いんだけども、ま、自然な感じでいいんじゃないでしょうか。

フイルムは久々のケントメア。
よーく粘るフイルムの印象。
あんまりシャープさはないんだけど、眠い感じが好きなので、このフイルムは嫌いじゃない。
D-76で現像したんだけど、T-max Devとかなら印象が違うかな。

さて、と。

本日最後の会議に行くとしますか…。

:-#

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ムカシはこの辺りって市電が走ってたよなぁ…とか(笑) 名古屋の市電は昭和46年に全廃されているから、僕もホンの幼いころに何度か乗ったなって記憶しかない。 地下鉄の延長と自動車の増加が原因なんだろうけど、逆に今なら「エコ」とか言って有用な乗り物になるのかもね。

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待ち合わせに早く着きすぎた。 ぼんやり柱に寄りかかりながら、何にピントを合わせるでもなく数枚。 この人たちはどこから来てどこへ行くんだろう…とか。

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名古屋駅が今の「JRセントラルタワーズ」になったのは平成11年。 旧の駅舎もレトロな感じが良かった。 ココらへんの懐かしいCMもロケ地は名古屋駅だったり。 そんなことを考えているうちに、やがて懐かしいヒトは来た。