「もしもし」
もしもし
「うん」
少し声が掠れて聞こえた。
気のせいかもしれない。
えっと … さ …。
「うん」
僕らはケンカをしていた。
そう思っていた。
いつもなら僕が謝っておしまいなのだが ( これは緊急避難ではなく、大方の場合において僕が悪かった )、今回のは謝っても許してくれる気配すらなかった。
僕はケンカの切っ掛けを思い出して、この諍いがここまでお大事になるという事が理解できないでいた。
謝って済むという事ではないんだよね
「あなたが謝る事ではないのよ」
うん
「寧ろ、今回は私自身の問題」
うん
「出来ればね」
うん
「しばらく放っといて欲しいの」
そうか
「うん」
僕は取り付く島もない事を再度確認した。
こりゃぁダメだ。
そんな事を思った。
駅の構内はごった返していた。
楽しげな音楽や笑い声は、今は恨めしい。
「ね」
うん
「ずいぶん賑やかだけど、どこにいるの?」
菊名
「え?」
菊名だよ
「面白い所にいるじゃない」
うん
菊名は東横線の駅名だが、彼女の家から程近い場所だ。
僕はこの電話で許しが乞えたなら、そのまま彼女を連れだそうと甘い希望を抱いていたのだ。
「わたしね」
うん
「このまま別れてもいいと思ったのよ」
うん
「でもさ」
うん
「たった今、気が変わったわ」
彼女は電話の向こうで少し笑った。
気のせいかもしれない。
「サンジェルマンにいて」
わかった
朝から降っていた雨は止んだようだ。
外を歩く人たちは傘を畳んでいる。
ややあって彼女は現れた。
僕は今でもその時の彼女を正確に思い出す事ができる。
口紅だけで他に化粧っ気はない。
淡いピンクのポロシャツにジーンズ、そしてサンダル。
( 暑いね )
彼女はそう言うとアイスコーヒーをごくりと飲んだ。
あのさ
「うん?」
どうして?
「何が?」
どうして気が変わった?
「聞きたい?」
うん
「あなたの健気さと」
うん
「今日が 7 月 7 日だから」