三月十一日

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1 枚目 Leitz Summaron f=3.5cm 1:3.5
2, 3 枚目 Leitz Summarit f=5cm 1:1.5
Kodak Tri-X (EI 1600)
R09 ONE SHOT (1:50 18min30sec)

 本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。

 2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。震災後に訪れた被災地では、永年(ながねん)にわたって人々が築いてきたふるさとが痛々しく破壊されており、被災者の悲しみはいかばかりかと察せられました。一方、この厳しい状況の中、被災地で、また、それぞれの避難の地で、気丈に困難に耐え、日々生活している被災者の姿には、常に深く心を打たれ、この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。

 この度の大震災に際して、厳しい環境の下、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います。

 諸外国からも実に多くの善意が寄せられました。物資や義援金が送られ、また、救援の人々も多数来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使など日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後の日本を訪れる多くの外国人が、被災地に赴き、被災者を励ましてくださっていることに感謝しています。

 この度の津波災害において、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。

 今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

平成二十五年東日本大震災追悼式 天皇陛下のおことば

Canon 7

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Canon f=5cm 1:1.4 LTM
Kodak Tri-X ( 400/100 )
R09 ONE SHOT (1:50 )

腰に抱えて居る爆弾が破裂した。
普段から気を付けては居るが、何かの拍子には動けなく成る位のダメージを伴って爆発して仕舞う。
昨日は左足に全く力が這入らない状態だったが、今朝は稍持ち直した感じで有る。
昨晩に往った接骨院では一先ず今日は動かない方が得策、との事で有ったので、此の年度末の時期に二日も休みを取って仕舞った。

腰は傷むが他は何と云う事も無いので、腹も減れば煙草も吸いたい。
寝るのにも限度が有る訳で、暇を持て余して居る様な状態で有る。

で、以前の写真を熟々と見返して居た。
新しい写真に碌な物が無いので、少し前の写真を再度掲載して見ようか、と思う。
古い写真は flickr に置いて有るが、2010 年よりも古い物に関しては一度ごっそり廃棄して居るので、直ぐに見られるのは其れより後の物に成る。

三枚は 2010 年に沖縄に旅行した時の物。
季節は今くらいだったが、黄砂が酷く、晴れて居ても霞が掛かった様で有った。
カメラはキヤノン 7。
ファインダーがライカの其れに比べると、稍見辛い事を除けば、非常に良いカメラで有った。
キヤノンのレンジファインダーは 7 と VT Deluxe を使った事が有るが、何方でも自分の記憶に残る写真を撮った。

Twin

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Carl Zeiss Jena Tessar f=7.5cm 1:3.5
Kodak Tri-X
R09 ONE SHOT ( 1:100 Stand Development 60min )

ローライフレックスの 6×6 は、例えばハッセルブラッド等の物に比較して少し大きい。
ハッセルブラッドはレンズ交換式で有るので、フランジバックの関係でアパーチュアが余り大きく取れ無いのかも知れ無い。
更にスキヤンをして居て気が付いたのだけど、画の長辺を 1024px ( これはブログ掲載の為のリサイズで有る ) にした場合、縦の方が長い。
詰り完全な正方形では無いと云う事だ。
此れが如何影響するかは分から無いが、パウル・フランケとラインホルト・ハイデッケのみが知る「視覚の秘密」なのかも知れ無い。
( 尤も、此れはスタンダードの話で有って、3.5F や 2.8F も然うなのかは知らない )

土曜は寒かったので、撮影はフイルム 1 本にしてカフエで本を読んだ。
鞄の中には大概 1 〜 2 冊読掛けの本が這入って居るが、土曜は「断腸亭日乗 ( 下 )」と「東京日記」で有ったので苦笑した。何方も変わり者爺さんの作で有る。
断腸亭をパラパラと繰り始めると、荷風は矢張り日常的にカメラを持ち歩いて居た様で有る事を再確認した。
ルーテインで有る浅草辺りの散歩にも撮影したと記述した日が何回が出て来る。
現像も焼き増しも行なった様で、昭和の初めにローライフレックスを使って居たとなれば、此れは可成りのブルジョワな生活で有ったと思われるが、荷風の晩年は寂しい物で有ったとも聞く。
因みに、タレントの高見恭子の祖父阪本釤之助は荷風の叔父で有るが、絶縁で有ったらしい。
内田百閒も然うで有るが、決して夜渡りが上手いとは云えない人達で有る。

志半ばで倒れたゲルダ・タロー、そして生涯何所か寂しさを纏わり付かせて居た永井荷風。
共通する何かとは安易で有るが、そして故人の人生が幸福で有ったか等と考えるのは傲慢で有る様にも思うが、其れでもローライフレックスには「何をか」を暗示するかの様な感覚を禁じ得ないので有る。
其の二つの目で八十年もの間、何を見て来たか、と。

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ローライフレックス・スタンダードでの撮影は楽しからずや、で有る。
ローライフレックスと云えば 3.5F や 2.8F 等が筆頭で有るが、其れ等よりも随分軽量で有る。
其れ丈でも撮影に相対する心持ちが随分と違う。

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只、何と云っても八十年程昔のカメラで有るので、調子に乗って真逆光の写真を撮ると ( 一枚目の写真 )、次の写真 ( 二枚目の写真 ) は斯う成る。

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Carl Zeiss Jena Tessar f=7.5cm 1:3.5
Kodak Tri-X
R09 ONE SHOT ( 1:100 Stand Development 60min )

如何にも Tri-X と R09 の静止現像が上手く往かない。
片側が現像過多に成って仕舞うので有る。
他のフイルムでは此の様な事が無いので、遣り方自体に問題が有るとも思え無いので困って居る。

折角、雰囲気の良いお二人に一声掛けて撮らせて貰った一枚も、無茶苦茶な構図に成ったばかりか、現像も非常に残念な事に成った。
矢張り Tri-X は撹拌しよう、と決めた一枚で有る。

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MAMIYA SEKOR C 80mm F1.9
Kodak Tri-X
R09 ONE SHOT ( 1:100 Stand Development 60min )

写真を趣味にして居ると、否、そんな事は無いと仰られる方も御出でだろうから、一概に云い切る事は出来無いが、定期的に写真との乖離 ( 斯う書くと、何となく尊大な感じがして厭なのだけれど ) が起こる。
有り体に云えば、写真への興味が薄れて仕舞う事だ。
今回も、此れが如何ともし難い頑固さを以て居座り、全く写真を撮ら無く成る気がして居たので有る。
そんな折、スタンダードの帰還は福音で有るのだが、全く此れには手を焼いている。

必要以上に自分の写真を卑下するのは厭なのだが、此れ亦、必要以上にエクスキューズを塗りたくるのはもっと嫌いで有る。
趣味で有り、其れもカメラを持ち歩いて彼方此方を撮り散らかす趣向なのだから、最早批判だとか評論の対象外なのかも知れない。
僕は最初から「記録」で有る事を厭わないし、其れこそが写真の本質で有ると考えて居るので、変に小手先で躱す様な手法 ( 要するに過剰な演出 ) は「自分では」遣らない。
それでは他の誰かの写真と同じで有り、僕が撮る必要が無いでは無いかと云われた事が有るが、では僕と同じ写真を是非撮って見せて頂きたい。
同じ写真とは同じ場所の同時刻、同じ天気で同じ空で同じ人物が其処に居る必要が有る。
事実上、僕と同時に僕と同じ場所に立ってシャッターを切らないと、同じ写真等撮り得ないので有る。
然う云う意味では貴重な記録で有り、ドキュメントで有る。

然うは云う物の、同じ周回を回って居ると、自分は本当に前に進んで居るのか不安に成る。
ドキュメントを記録すると云う見地に居ても、心持ちが鈍るとでも云うのだろうか、自分の遣って居る事が途轍も無く退屈に思えて仕舞うのだ。

勿論然う成る事は初めてでは無いので、如何すれば其処から脱出出来るかは経験則から知っては居る。
力技では有るが、撮って撮って撮り捲るしか無いのだ。
余計な事が頭を過らない様に。
カメラマンズ・ハイで有る。

其れに付けても …。

もう一寸暖かく成らないと、流石に一日中歩き回る決心が付かないので有る。