天秤

先日紹介させていただいた名古屋市政資料館の内部です。

お話ししたように煉瓦と鉄筋コンクリートによる 3 階建てで、日本に 8 つあった控訴院の建物で現存する 2 つのうち ( 1 つは札幌 ) の 1 つという事になります。
控訴院はリンクの通りですが、

設計は司法省営繕課(工事監督)で、山下啓次郎(工事計画総推主任:司法技師(参考:山下啓次郎はジャズピアニスト山下洋輔氏の祖父))及び金刺森太郎(設計監督工事主任:司法技師)が担当した。

( 出典: wikipedia )
とされています。

司法をイメージした天秤を表したステンドグラスは無料で見る事のできるものでは最大級のものだそうです。
他にも大正期のガラスも建物の各所に残されていて、それらは現代では再現が難しいと聞きました。
また 1 階の奥には留置場も残されていて、独房、雑居房共に見学が可能です。

写真の大会議室も調度品などが忠実に再現されていて、内部も重要文化財に指定されています。
フォトジェニックな場所でもあり、また郷土の歴史を知る上でも有用な場所でもあります。

近年司法は変革の時期を迎えました。
ご存知の様に「裁判員制度」が実施された事です。
陪審の制度自体は以前からあったのですが有名無実化していて、平成 16 年 5 月 21 日「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立したのを機に平成 21 年 5 月 21 日から新しい制度として実施されました。
これで裁判に公民としての意見が反映される、と期待されている訳ですが、ご存知のように日本は三審制度です。
例えば一審で無罪の判決を出しても、二審・三審で覆される事は珍しくありません。
こんな事を言っては何ですが、事実上裁判員制度は機能していないと言っても良いかも知れません。

人を人が裁くというのは大変に高度な判断が必要になります。
法律というのは完全なものではなく、条文を様々な角度で考慮して解釈する事が必要になり、その判断を誤れば当事者の人生のみならず、その後の判例にも大きく影響してまうのです。

役割を終えた旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎は、今もなお威厳を保ち、見る者にここで裁かれた幾つもの人生を語り続けています。

「ほい、いらっしゃい」
たこやき、みっつ
「はいよ」

外は切るように冷たい風が吹いている。
たこ焼き屋の屋台に顔を突っ込むと、顔と躯の前半分だけが暖かくなって、ずるっと鼻水が出た。

「ぼくのと、誰のやつや?」
おかあさんとおじいちゃん
「とうちゃんのはええのか?」
おとうさんはまだ帰ってきとらんもん

屋台のカウンターは僕の背丈よりも高かった。
カウンターの一部が透明なアクリルなので、上から覗けなくても透かしてたこ焼きの鉄板の様子を見て取る事が出来た。
僕は鼻水を啜りながら、おじさんが千枚通しのような物でたこ焼きをひっくり返していくのを眺めていた。

「ほい、出来たで。出来立てのホヤホヤやで」

僕はポケットから 30 円を取り出す。

はい
「はい、おおきに」

小さな紙の袋に入った熱々のたこ焼きを受け取る。
ん?と気付く。
3 つと頼んだ筈なのに 1 つ多い。

あ、これ
「お?ぼくはおりこうやから 1 コサービスや」
いいの?
「ええで。もう暗いから気ぃつけて帰り」
ありがと

僕は自分の涙で頬が冷たくなって目が覚めました。
誰かにこんなに優しくされたのは随分久しぶりのような気がしていました。

LEICA M8, Summicron 50mm F2 ( 2nd )

それから

Leica M3, Summicron 50mm F2, Kodak T-max400

「先刻 表へ出て、あの花を買つて来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回した。其後で三千代は鼻から強く息を吸ひ込んだ。
「兄さんと貴方と清水町にゐた時分の事を思ひ出さうと思つて、成るべく沢山買つて来ました」と代助が云つた。
「好い香ですこと」と三千代は翻がへる様に綻びた大きな花瓣を眺めてゐたが、夫から眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。
「あの時分の事を考へると」と半分云つて已めた。
「覚えてゐますか」
「覚えてゐますわ」
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立だつたんですもの。ぢき已めて仕舞つたわ」
「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」
「あら、気が付いて。あれは、あの時限なのよ」
「あの時はあんな髷に結ひ度なつたんですか」
「えゝ、気迷れに一寸結つて見たかつたの」
「僕はあの髷を見て、昔を思ひ出した」
「さう」と三千代は恥づかしさうに肯つた。

何度読み返しても、この件は素晴らしい。
二人の心の機微が見て取れる。
近頃の日本人は声ばかり大きくなって煩くて敵わない。

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LEICA M3, Summicron50mm F2, Eastman Double-X 5222 ( EI400 )

このところ木村伊兵衛氏の写真を眺める事が多い。
何と表して良いか分からない心境なのだが、矢張り希代のストリートフォトグラファーである。
木村氏は例えば向こうから様子の良さそうな人が歩いてくると、この位の距離で構図はこうで背景はこんな感じで、と考え、そこに来るとささっと数枚撮って終わりという撮り方だったと聞く。
ファインダは見るか見ないかくらい。
これは敬愛するゲーリー・ウィノグラントもアンリ=カルティエ・ブレッソンもそうだ。
ウィノグラントは少し毛色が違うが、木村氏とブレッソンも似て異なる。
瞬時に構図を決めて云々は極めて近い発想であるが、やはりそこは日本人と外国人の違いは明確であって、例えば二人が同じ場所で写真を撮ったとしても、まるで違う写真になったに違いないと思う。

さて。

僕も基本はストリートスナップにあると思っている。
街を歩く時の気持ちの高揚は筆舌に尽くし難い。

木村氏の足下にも及ばないが、ささっと撮るという事は実践している積もりだ。
一万枚で一枚くらい、何方かの記憶に残れば幸甚である。 

 

「異邦人」

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シメがこれでいいのかって話はナシの方向で(笑)

この人、コスプレのイベントでもなかったのだけど、たった一人でテレビ塔のあたりにいらっしゃった方。
周りは実に見事な「遠巻き」にして見ていたのだけど、そこはムキになっていた僕のこと、ただ一人突進して撮らせていただいた。
撮ってもいいかという問いにも頷くだけという徹底ぶり。
この出で立ちにピンクのポシェットという豪快さも素敵なコスプレイヤーだった。
ちなみに髪は緑だ。

もう2~3枚あったような気もするが、ひとまず一昨年の展示はこれでおしまい。
インスタントなポートレイトに特化した展示で、普段というか現在撮っている写真とは違う内容になっている。
人物といえばキャンディッドばかりというわけでもないんですよーというわけだ(笑)

先のエントリーにも書いたが、これだけの人たちが見ず知らずの僕に笑いかけてくれているという事実に改めて喫驚した。
上の写真は笑っているかどうかが不明であるが、少なくとも怒ってはいなさそうである。

「他者によってのみ云々」に関しても、これらの写真から最低限わかる事は「写真を撮っているときの僕は人を笑わせることができる」ということだ。
だいたいの場合において、僕は2カットから4カットくらいを撮っている。
連続してみればわかるが、やはり最初の1枚は表情が硬い。 
はっきりとは覚えていないが、僕は何らかの声をかけたと記憶している。
そのせいなのか、それとも僕の容姿が可笑しかったのか、撮影をお願いした人たちは笑顔を見せてくれている。
その事実は、少なくとも僕にとっては大切なことのように思っている。

偶然と思いつきで展示したものをお見せしたが如何だっただろう。
これらで使用したインクジェット写真用紙の「月光」グリーンラベルは、本当にバライタのような仕上がりとなっていて、モノクロが得意とされているPX5600とも相俟って、僕の暗室技術を軽く凌駕するものだったことも付け加えておこうと思う。

今のところ写真展など展示の予定はないのだけれど、また機会があればぜひ皆さんにも見ていただきたいと思っている。