New York Mining Disaster 1941

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台風や集中豪雨がやってくるたびに動物園に足を運ぶという比較的奇妙な習慣を、十年このかた守りつづけている男がいる。僕の友人である。
台風が街に近づき、まともな人々がばたばたと雨戸を閉めたり、トランジスタ・ラジオや懐中電灯の具合を確かめたりする頃になると、彼はベトナム戦争がたけなわであった時代に手に入れた米軍放出品の雨天用ポンチョに身を包み、ポケットに缶ビールをつっこんで家を出る。

こ れは村上春樹氏の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」という短編の冒頭だ。
いまさら村上氏を解説したりするつもりはないが、僕が何か文章を書く上において、少なからず影響しているに違いない作家だ。
とはいえ最近、いや初期の「羊三部作」以降は、短編を流し読みする程度だ。
これでは恐れ多くてファンなどとは自称できないし、よく考えたらそんなに好きでもないのかもしれない。

ただこの「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(ビージーズのヒット曲からタイトルを付けたんだろうね)は「中国行きのスロウ・ボート」で読んで以来、心の中のダークサイド(笑)に引っかかり続けている話になっている。
内容はご自分で読んでいただくとして(笑)、物語としてはひどく暗い話ではある。
「死」というものを初めて自分のこととして身近に感じたころ、改めて人が死ぬということは一体どういうことなのかを考えたりするものだが、そこは村上流のロジックで淡々と、しかもリリカルに描かれてい る。

僕は36歳のころにホントに「死ぬかと思った」ことがあった。
それまでは自分が死ぬなんてことすら真剣に 考えたこともなかったのだけど、突然目の前に突きつけられた現実にうまく対応することができなかった。
ま、当たり前の話だ。
それ以来、自分はいつか死ぬんだということが頭から離れない。
文中で「伝説の不吉なカーブ」という比喩めいた言葉が出てくるが、まさにそのカーブですっ転んだわけだ。
幸いにも命を落とすことはなかったが、それからしばらくは病気のショックよりも「死」がこんなに身近だったというショックのほうが大きかったように思う。

台風の日に動物園に出かけることはしなかったけれど、病後読み返したこの短編には、何か暗示めいた言葉があるような気 がしてならない。
倒れたのは6月。
毎年この時期になると落ち着かない気持ちになる。

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