フェヤーモントホテル

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「何か凄い…。ね」
うん

新聞の三行広告を見て、僕らはここに来た。
「ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール」は、もう満席になっていて、とてもじゃないけど桜を楽しめる雰囲気じゃなかった。

ま、散歩して帰ろうよ。
「うん」

僕らはお茶を諦めて出口に向かいかけた。

お客様、お客様

店から出てきたボーイが声をかけてきた。

はい?
「あちらのお客様が、もう席を立つからと」
ええ?
「どうぞ、ゆっくり桜をお楽しみください、と」

ボーイが指し示す方を見やると、年配の夫婦が今まさに席を立つところだった。

あの、すいません。ありがとうございます。
「いいえ、いいんですよ。もう随分長く居ましたから」

ご婦人は柔らかい物腰の上品な方だった。
ご主人も傍らでニコニコしていらっしゃった。

「桜を見にいらしたのでしょう?」
はい。
「このホテルは暖かい雰囲気がして良い所」
はい。
「どうぞ、ごゆっくりね」
はい、ほんとありがとうございました。
「ごきげんよう」

僕らは二人を見送って席に着いた。

ん?

彼女は目を赤くしている。

どうしたの?
「夢でも見てるようだわ」 
何が?
「歌に出てくる人たちみたい」

それから二年後の冬、静かにそのホテルは歴史の幕を下ろした。

皇居のお濠 / 千鳥が淵の桜が / 咲き始めました。

あのティールームも、外光に柔らかく光る髪も、今は昔。