銀色の道

子どもの頃、正月の思い出のひとつに「寒稽古」があった。
剣道を習っていたのだが毎年正月には早朝に稽古があり、稽古の後で振舞われるお汁粉を目当てに出かけたものだ。

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道場は家から見て西にあって、稽古に行く際には吹き付ける伊吹おろしに向かって行くことになる。
自転車で胴衣の上からジャンパーを羽織るだけ。
風が強いと息すらできなくなる。
僕はこの道すがら、この歌を口づさんでいた。
(遠い遠いはるかな道は 冬の嵐が吹いてるが) 
ラジオから聞こえてきた歌声に、身を切るような北風の冷たさやしもやけの足の痛痒さを思い出した。 

A miss is as good as a mile

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明日あたりからは家事の年末進行が始まるので、ブログ更新も侭ならない、というか写真を撮る暇がないと思われるので、今日はM5で撮り納めをしてきた。

今年もこんな(↑)写真ばかりを撮ってきた。
自分で改めて眺めてみても、もうこんなんばっかりで笑ってしまうくらいだ。
でもまぁ…。
それもこれも含めて自分の写真なのだから仕方がない。
多分来年もこんな写真ばっかなのだろう。

身の丈というか、丁度いいということが今年はまるで自分のテーマのようになっていた。
写真のことだけではなくて、生活すべてに於いて。
丁度いいというのは実に難しい。
というのも、世の中に僕にとって丁度いいという基準で準備されたり作られたものなどないからだ。 
となれば、今度は自分を合わせるしかない。
でもそれって「丁度いい」ってことなのか?と。

運良く他の基準で作られたものが自分に合っていたとしても3日もてば良い方で、自分の中の基準など、もはや基準とすら呼べないくらい流動的である。
そんな不確かな線引きで物事を判断してしまって良いのか。
自分はもっとやれるのであって、周囲の空気から線を引いてしまっているだけではないか。
否、寧ろ逆で、自分は全然やれないのであって、周囲が期待するから其処に線を引いてしまったのではないか。
ぐだぐだ考えながら呑む酒は一向に酔えない。
そんな晩がいくつかあった気がする。

あらゆる価値は相対的である、というのは高校生くらいからの銘だ。
10代の頃にそれを言ってしまったので、僕はその後をずいぶんと醒めて過ごしてきた。
ガールフレンドの何人かは呆れて去っていったし、僕はそうして過ごす事に何か意味があるような気すらしていた。
もちろんそんな事に意味などない。
相対的であろうと絶対的であろうと、夜になれば朝は来るし、新しいガールフレンドができれば食事をして、ビールを飲んで(これは僕だけだが)ベッドに入った。
僕は実際には意味を求めていたのではなく、そうする事で世の中と渡り合おうとしていたのかも知れない。

画して僕はあっさりと、いとも簡単に飲み込まれた。
相対的だ、と言い切るには多くを求めすぎたのかも知れない。
その言い訳に僕は自分に対して「丁度いい」などというお為ごかしを思いついた。
村上春樹流にいえば「やれやれ」である。

ほっといても2012年は来るようだし、じたばたしても無くしたものは戻らない。
もう出家でもしようかな…(笑) 

メリークリスマス

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もう特別に「クリスマスだから」という事もなくなった。
僕が大学から社会人になりたての頃はバブル景気が真っ盛りの頃だったから、クリスマスともなると、そりゃもう国を挙げての一大事業のような騒ぎになっていた。
男性は彼女へのプレゼントの為に有名ブランドショップへ列をなし、高級レストランでの食事に為に予約の電話をかけまくった。
何やら今昔物語のようだが、20年ほど前にはそういう時代もあったのだ。

僕はといえば学生で金もなく、社会人になった頃は段々そういう風潮も下火になりつつあったので、テレビや雑誌などで(ほう、世間はそうなのか)と指をくわえていたクチである。
ま、あの時代を狂乱の時代だとするのであればギリギリの所で実体験をしなかった分、救われていたのかも知れないが、当時の写真を見ると相当に恥ずかしい格好だったりするわけで、その時代に若かりし頃を過ごしたという事実は抗いようのない事のようである。
考え方ひとつだが、どうせだったらもっと享受しておけば良かったな、とも思ってみたり。

皆さんはそれぞれ、どんなイブを過ごされるのだろうか。
自分は仏教徒なので…という話をされる方には言葉もないが、元を辿れば仏教だって他所の国から伝来した宗教なのであって、そういう意味ではキリスト教とさして変わりはないと思うのだけど。
いずれにしても、楽しいクリスマスでありますように。

マキナで師走の街を撃つ

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プラウベル・マキナ67は憧れのカメラだった。
有名なところでは荒木経惟氏、近年では石川直樹氏が使っている。
カメラについての説明は何所にでも書いてあるので省略するが、僕の個人的な思い入れは、何しろ「硬派」なイメージのカメラだということ。
生産年数が短かったので半ば伝説化しているところもあるが、当時の販売価格140000円を上回る中古価格が付けられていることが多かったが、近年になってようやく落ち着いてきた感がある。

67はマミヤのRZ以来だ。
このところ120mmは6×6でしか使ってこなかったので、現像が終わったネガの様相は新鮮ですらあった。

手持ちのt-max400を詰めての試写だったが、ややスポット気味の露出計も精度があり、パララクスを自動補正するビューファインダも見やすいものであった。
レンズもMCなので少々の逆光を物ともしないし、ニッコールはシャープさで定評があるので、120mmフィルムの解像感とも併せて、文句の付けようがない写りを見せる。
蛇腹の収納時に若干のお約束事があるが、かつてスプリングカメラを使った事があるので痛痒はない。
やや慣れが必要なのが右手親指によるフォーカシングだが、これもフジカを持っているので目新しい事ではなかった。

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と、まぁプラシーボ効果丸出しの話だが、先人たちの話でも悪い話は聞かないカメラで、そういう意味では精神的なプルーフが充分にある。
要は使ってみたら、実にそのとおりだったというわけだ。

いくら他所で高評価であったとしても、いざ自分で使ってみると、まったく使い難いというような事は往々にしてある。
そのカメラに至るまでの経験や環境、あるいは機材に対する考え方や、もっと言えば体格なども人によって違うので、こればかりは使ってみないと判断はつき難いのだ。
そういう意味では他所での評価と自分の感想の差が殆どないカメラであった。