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さくら便り その2
ムスメと家人が実家へ遊びに行ったので、のんびりとシングルライフなわけだが、朝から酷い頭痛に見舞われてしまったので、着替えもせずにぼんやりと夕方近くまで過ごした。
テレビも付けずにうとうとしたり本を読んだり。
ふとコーヒーが飲みたくなって、もたもたと着替えて表に出る。
カメラを持って出るのは財布とか携帯を持つのと変わらないくらいの日常的なことなのだけど、フイルムにするかデジタルにするかは悩みどころ。
フイルムを1本撮りきる時間も無さそうだったのでR-D1に40mmを付けて出る。
喫茶店までの間にいつもの緑地公園があるが、うまくすれば桜の写真が撮れるかも知れない。
外は暖かだったが、風が強くて肌寒い感じがする。
(もう一枚着てくれば良かったな)と独り言。
公園にはたくさんの人たちがいた。
ほろ酔いの人、はしゃぐ子ども、恋人の手を取る人。
頭上には五分ほど開いた桜。
日本という国は美しい国だ。
それは四季に彩られた自然の美しさだけではない。
そこに暮らすのが日本の人たちだから美しいのだ。
自戒
いろいろと無理をしている。
もちろん、これは僕に限ったことではない。
今や日本国中が多かれ少なかれ無理をしている。
仕事や家庭、学校や病院。
ショックが抜けきらないまま過ごした半月あまりは、とても早く感じたのではないだろうか。
誰かを非難しても現状は変わらない。
非難されるべき人たちは居るにしても、今糾弾してみたところで、家財一切を失った人の手助けにはならない。
分かってはいるけれども、尖ってしまった心は誰かを傷つけずにはいられない。
とあるサイトで、現地に緊急医療チームとして派遣された看護士の手記が載っていた。
避難所で仲良くなった6歳の女の子。
サンタさんが今年も来てくれるか不安がっていたそうだ。
きっと来てくれるよ、と言った後、何が欲しいの?と尋ねると「おうちとママ」と言う。
ママは瓦礫の下から彼女の大事にしていた絵本や人形を詰め込んだリュックを抱えて遺体で見つかったのだそうだ。
福島では摂取制限が支持されたキャベツ農家の方が自殺したとのニュースを聞く。
昨日、もう誰も死なないこと、と書いたばかりなのに。
原発の問題は人災でもあることが誰の目にも明らかになった。
だが原発があるからこうなってしまった、という結果論を議論するのであれば、いつのころからか無くなってしまった夏場の電力予報に誰か注意を払っていただろうか。
僕はもう原発について書くのはこれで最後にしようと思う。
せめてママとおうちをなくしてしまった女の子に笑顔が戻るまで。
自ら命を絶ってしまった農家の方の魂が救われるまで。
歩こう
日常が日常じゃなくなってしまってから、それでも気持ちを奮い立たせるように写真を撮っている。
非日常的な日常。それもまた現実であり、記録されるべきものだと信じて。
春霞
ソメイヨシノって江戸の染井(現在の豊島区のあたり)にあった植木屋が観賞用にとエドヒガンザクラとオオシマザクラを交配して、「吉野」って名前で売り出したのが始まりなんだそうな。
種を落として自然に繁殖するんじゃないから、挿し木や接ぎ木で増やすしかなくて、結果すべてのソメイヨシノはクローンになるらしい。だから条件が整えば一斉に咲くんだな。
ユキヤナギは花をつけ始めた。
中国産だとかいろいろ言われた時期もあったらしいけど、今は日本産ということで落ち着いたみたい。
あと一週間もすれば、この地方では桜の便りが聞かれる。