Flickr

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2006年にプロアカウントを買ってから(ってことはその前からってことか)、一度内容を刷新しましたが使い続けているFlickr。
最近は、その在り方みたいなものに「?」な感想を持つことが多くなって、単なる画像置き場としか活用していませんが、以前はきちんとタイトルやタグもつけて、類似するグループにも投稿していました。
近況はそんな感じですから当然view数もfavをもらう事もほとんどありません。
それでもちゃんと見てくださっている方がいらっしゃって、view数ゼロという写真はほとんどありません。
これは本当に嬉しいことです。

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この3枚は現在置いている写真の中で最も興味を持たれた(interesting)写真のトップ3です。
view数だけの評価ではないようで、何か独自のアルゴリズムがあるのでしょうか。

1枚目と2枚目はリコーGR1s、トライXで、中村遊郭跡近辺を撮影したものです。
濃いネガを作ることに砕身していたころで、2段くらいは増感しているでしょう。
3枚目はDP-1。
これは近所の公園にホタルを撮りに行ったときのものです。
分かりにくいと思いますが、よく見るとホタルの軌跡が写っています。

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これらの何が興味をもたれる要因になったのか分かりませんが、ホタルのは別にしても上位2枚は、ある意味僕らしい写真ではないかと思います。
撮影場所の選定もそうですが、やはりハイコントラストのモノクロというのは、自分自身の琴線にも触れる写真であることには違いないようです。
こういったアーカイバルな捉え方が後からでも出来るというのはデジタルならではなのでしょうね。 

さて、この3枚。
みなさんにはどのように届いているのでしょうか? 

遊郭跡を歩く

名古屋駅から西に向う。
家電量販店や予備校が集まる表通りから駅西銀座商店街を通り抜け、則武本通を渡ると一気に下町情緒溢れる街並になる。
振り返るとJRセントラルタワーが古い街並の中にそびえ立ち、普段あまり目にすることのない異次元の風景が広がる。

さらに歩を進めると、土地勘のない人でも雰囲気が何か違うことに気づくはず。
ここはかつて東京・吉原をも凌ぐ規模を誇った遊郭の跡地なのだ。

中村遊郭に関しての詳細は検索していただければいくらでも出てくるので、ここでは概略のみ。
名古屋の遊郭の歴史は1610年ころに始まる。
時は名古屋城築城の最中であり、そこに働く人々の慰労が目的とされている。
場所はあまり明確ではないらしいが、今の中区錦3丁目あたりであったらしい。
名古屋城が完成すると藩主の意向や政令などで衰退するが、1858年頃に大須観音の北側に役者や芸人などを集めた遊所の設置を藩が認め、明治に入ってから県令でこの地区の「娼妓」の営業が認められる。これが「旭遊郭」であるが、後に廃娼運動や人権運動などもあり、大正12年に愛知郡中村への移転する。
これが「中村遊郭」である。

一方遊郭の移転で活気が失われることを危惧した大須は、「大須市場」という安売りを目玉にしたマーケットを作る。
その流れは紆余曲折があったにせよ、現代にも受け継がれていることになる。
移転した「中村遊郭」の全盛期は昭和12年あたりとされている。
娼家が138軒娼妓が約2000人と、当時の厚生省の記録があるらしい。この数字からも日本一の遊郭であったことは、決して眉唾ではないことが推測される。

戦後、進駐軍によって公式には娼妓取締規則は廃止される。
しかし特殊飲食店(カフェー)としての営業は認められており遊郭は存続したが、昭和33年の「売春防止法」によって遊郭はその歴史を終える。
多くの娼家は旅館やソープランド(トルコ風呂)に意趣変えをするが、その衰退は否めず、かつての栄華は過去の物となっている。

現在、当時の建物は殆どが取り壊され、大店が何店かが残るのみである。
その大店もデイケアサービス(!?)やレストランに利用され、一見歓楽街としての歴史は途絶えているように見えるが、ソープランドは現在も営業しており、やはり普通の下町の雰囲気とは違う空気を生み出している。
街の真ん中に大手スーパーがあるが、ソープランドはその真向かいで営業しており、買い物の主婦が自転車で通り過ぎて行く。何とも形容し難い光景である。

悲喜交々の歴史を飲み込んだ、人生の縮図であった遊郭。
激動の時代を見てきた建物は、名古屋に住むのであれば一見の価値がある。

Steps

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わざわざ写真を撮りに出かけることはない。 出かけたついでに撮ることはあっても撮るために出かけることはない。

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街が好きである。 あるいは大嫌いである。 その振幅が大きければ大きいほど僕はその街に魅力を感じる。

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街が好きである。 あるいは大嫌いである。 その振幅が大きければ大きいほど僕はその街に魅力を感じる。 人が好きである。 あるいは大嫌いである。 人は街を構成する要素であるが、同時に消えてなくなればいいと思う瞬間がある。

美しいものが好きである。 あるいは大嫌いである。 つまりはオネーチャンを撮るか、きったねえジジイを撮るということである。

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恨み辛みや葛藤、柵。 それが衝動になっている写真が愛すべき写真だと思っている。 だがそういう写真は「ウケ」ない。
寝たい、食いたい、飲みたい、殴りたい、ヤりたいetc…。
そういうのにフタをして、しれっと「このレンズは…」とかやられちゃうと手も足も出ない。 人ってそんなにも爽やかに生きられるものなのか、と。
「ボクは賢いから、そんなのを表に出さないんだ」とか言われちゃうのもお手上げ。
何食って生きてんだろうと思ってしまう。
そういう人の写真の方が「ウケ」るのにも腹が立つ。(笑)