雨の動物園

5120250226_48385bfc55_b

村上春樹の短編小説『中国行きのスロウ・ボート』に『ニューヨーク炭鉱の悲劇』というのがある。
「僕」が喪服を借りた友人が、雨になると動物園に出かけるという比較的奇妙な習慣があった。
物語のアウトラインは別にして、僕は「僕」を通して語られるこの友人と、その比較的奇妙である習慣を実践している場面が、とても印象に深い。

雨の日の動物園にいたという経験を持つ人は、そこそこいるんじゃないだろうか。
だけどもそれは、積極的に雨の日をチョイスしたわけではなくて、出かけたら雨が降ってきた、というようなことではないかと推測する。
レジャーに雨の日を積極的にチョイスする理由など、まず見当たらないからだ。

僕も動物園に出かけたら雨が降ってきた、という経験がある。
そこで思い出したのが、この短編小説だった。

「僕」の友人は軍の払い下げであるゴム引きのポンチョを被り、動物の檻の前のベンチに腰掛けビールを飲む。
そのとき、友人には何が見えていたのだろう。
僕はそう思ってしまったのだ。

生憎ビールはなかったのだけど、フランス軍放出のゴム引きパーカを着ていたし、本降りになるつつある雨の中では檻の前にあるベンチも空いていた。
僕は自販機でビールの代わりに缶コーヒーを買い、猿の檻の前にベンチに腰を下ろした。
小説と同じように猿は何かに腹を立てているようだった。
キーキーと叫び檻の中を目まぐるしく動き回っていた。
僕は何に腹を立てているのか理解しようとしてみたが、缶コーヒーが終わるまでには理由が見つからなかった。
僕が猿ではないからだ。

断わっておくが、同伴者には先に雨宿りをするように言っておいた。
「僕」の友人は一人で動物園に行くが、僕は雨の動物園が目的ではなく、同伴者と共にレジャーが目的だった。

僕は猿の気持ちを理解するのをあきらめて腰を上げた。
奇妙な高揚感があった。
そこまでで分かったことといえば、僕には猿の気持ちは理解できない、ということだけだった。
あとは縫い目から染み込んでくる雨が首筋を伝ってTシャツを濡らして寒かったことと、清掃係りの人にかなり驚かれたことくらいだ。
その高揚感の理由は見つからなかった。
しかし確実に足取りは軽くなり、同伴者に再会したときにも笑顔で話していたと思う。

「僕」の友人は何をみていたのだろう。
疑問は残ったが、その代わりに僕は人生において大切なことを知ったのだと思う。

結局誰かの気持ちを分かろうとするのは無理だ、ということ。
何故なら僕は、猿の気持ちすら理解できないのだから。

バック・トゥ・ザ・フューチャー

パーキンソン病は難病とされている。
実は僕の叔父も、この病にかかった。
日常生活に支障が出るし、 家族の負担も大きい。
進行を食い止める対処療法なのだけど、それであっさり治ってしまうようなこともあると聞く。
マイケル・J・フォックスも今の所は落ち着いていて、声優などの仕事もこなしているようだ。

もうスクリーンでは彼の姿を見ることはないかも知れないが、あのナイーブな青年役がぴったりだった彼の姿が昔のままだったことは、わけもなく嬉しい気持ちにさせてくれた。

ワルキューレの騎行


僕個人としてはJ.Kですね。
もうこれかけちゃうと本気でマズい(笑)

J.K自身もカーマニア。
「Cosmic Girl」ではたっぷり車ジマンのPV作っちゃいましたしね。

しかし、カップヌードルのCM。
ホンモノだとは思わなかったなぁ…。