RAKUGO

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Carl Zeiss Jena Tessar f=7.5cm 1:3.5
FUJI NEOPAN 100 ACROS
T-max Developer (1:4 5min30sec)

このところ小難しいエントリーが続いたので、今日は一転軽い感じで。
お分かりいただいているかと思うけれど、このブログはワザと旧かなだったりを使ったりしている。
愛読している昭和初期の文壇の影響だったりするが、まァあざとい感じは否めない。
誰に遠慮する必要もない自分のブログなのだから好きな様に書けばいいのだけれど、
やっぱりかりそめにも人様にお見せして読んでいただくのだから、それが読みにくくては本末転倒である。
そんな訳で、現代かなの文章を書いている。

僕は落語が好きだというのは以前にも書いたことがあるが、六代目三遊亭圓生が僕の中の永遠の名人である。
圓生は人情噺がいい。
いい噺を聞くと思わず目頭が熱くなる事があるのだけど、圓生の幾つかは本当に沁み入るような噺である。
中でも「小判一両」「中村仲蔵」は出色で、圓生の真骨頂であるように思う。( 「小判一両」のリンク先は前半で、後半はこちら )
どちらも長い噺なので、どうぞお時間のある時にでも。
大体落語は古典であれば江戸時代、アレンジされていても明治から大正くらいの話である。
大店の旦那、若旦那、丁稚、内儀さんだとか、舞台が遊廓であれば花魁、太鼓持ちといったところが出演者だ。
色々噺を聞いていると、同じ古典の噺でも噺家によって微妙にサゲを変えていたり、また同じ噺家でも自身の加齢に伴って細かな所が違っていたりするのも面白い。

歌舞伎、浄瑠璃などと同じく落語も古典芸能ではあるが、その時代ごとの風俗を知る上でも興味深い。
まァ一度、騙されたと思って聞いてみて欲しい。

思う事

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Carl Zeiss Jena Tessar f=7.5cm 1:3.5
FUJI NEOPAN 100 ACROS
T-max Developer (1:4 5min30sec)

昭和十七年四月十八日十三時三十分に初めて名古屋は空爆された。
市内六ヶ所、死者八名負傷者三十一名。B-25 2 機での小規模な爆撃で有った。
本格的な空爆は昭和十九年十二月十三日、十八日、二十二日の三日に渡る B-29 に因る三菱等の軍需工場を狙った物から始まる。
昭和二十年に這入ると、一月は略毎日市内の何所かに焼夷弾や爆弾が投下される様に成る。
此れは二月、三月も同様で有るが、精々数十機での空爆で有った。
所が昭和二十年三月十一日未明から翌十二日迄続いた空爆はB-29 600 機もの編隊に因る物で、被害は
千種区( 千種、高松 )
東区( 棣棠、高岳 )
北区( 清水 )
西区( 上宿、俵榎、上名古屋、江西、枇杷島、児玉 )
中村区( 中村、日比津、則武、亀島、米野、牧野、共立、笹島、広井、柳、岩塚 )
栄( 久屋、白川、南久屋、東新、大成、中ノ町、八重、御園、東田 )
中区( 橘、門前、日置、正木、古渡、波寄、大井、前津、日新、千早、松元 )
昭和区( 高辻、吹上、松栄、広路、小針、御器所、叢雲 )
瑞穂区( 御剣、弥富、堀田、瑞穂、汐路、高田 )
熱田区( 草薙、高蔵、白鳥、神戸、伝馬、千年、船方、野立、旗屋 )
中川区( 六反、広見、露橋、愛知、八幡、八熊、昭和橋、常盤、荒子、正色 )
港区( 東築地、西築地、大手、港西、小碓、中川 )
南区( 明治、豊田、道徳、呼続、白水、笠寺、桜 )
と市内全域に渡り、死者 519 名、負傷者 734 名にも成った。

三月十九日、そして名古屋城が燃え落ちた五月十四日と大規模な空爆が続き、名古屋は灰燼に帰したので有る。

東京大空襲を取り上げたのに名古屋の空襲を取り上げないのは片手落ちか、と。

戦争とは政治で有る。
従って勝た無ければ、丸で無意味と成る。
勝つ為には当然の事乍戦略が必要で有り、其れを遂行する為の国力が必要で有る。
隣国の情勢も気に成る所で有るが、世界に目を向けた時に、他の場所も国策としての武力行使は、恐らく望む結果が得られ無い計りか、国際的に批難され何らかの制裁を受ける可能性か高いのは周知の通りで有る。
半世紀以上も昔の事と現代とでは、著しく世界情勢や、その中での我が国の在り方も異なるので、一概に当時の政治に付いて語る事は出来ないが、国力に付いてのみに視点を置いたとしても、勝ち目など無いのは自白の明であろう。其れは盛んに挑発を繰り返す某国に付いて我々が抱く感想と同様で有る。

勝ち目の無い政策が敗れ、日本は蹂躙され、サンフランシスコ講和条約と言う謂わばお為ごかしの主権を回復した。様々な理由は有ったにせよ、レジュメを作れば斯う言う事で有る。
そして悪意が悪意を呼び、其の真っ只中に放り込まれたのは、無辜の市民で有った。
日本は市民革命が無かった。
お上の言う事に逆らうのは不利益を被る事を意味し、長い物には巻かれ、寄るのは大樹の陰で有る。
其れは「ムラ」の社会である事の証明で有る。誰もが村八分を恐れ、不平不満を口にしない事が善とされて来た。
例え、其れで自分の命が危険に晒されると分かっていても、で有る。

少しずつでは有るが、日本人にも、本当は誰も庇護しては呉れ無い事が分かり始めた様に思う。
そして村八分等は、想像するよりも怖く無い事で、声を上げると同志が集まる事すら有るのを知った。
さて問題は此れからで有る。
根深い日本人気質を代えるのは容易では無い。
だが自分が、或いは大切な誰かが死な無い為に、もう僕等は何かを断ち切らねば成ら無い様に感じて居る。

ノーファインダ

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Leitz Summaron f=3.5cm 1:3.5, Kodak T-max400, Leica M3

広角で絞って置いて、ノーファインダで撮る。
然う云う写真可を撮って居た頃が有り、当時のブログが好きで有ったと云う方にもお会いした。
写真の手法で有るし、然うで無ければ撮れないで有ろう写真も撮れる。
併し、性格だろうか、其れ一辺倒に成って仕舞ったので、自分の写真が面白く無く成って終った。
其れで、譬え一瞬でもカメラを持ち上げ、ファインダを覗いて撮る様に心掛けて居る。
見て頂いて居る方にとって如何かと云うのは分からないのだが、只アイキャッチと云う意味ではノーファインダで撮った写真の方が訴求するので有ろう。
斯う云う物は撮り手のエゴイズムで有るので、見る方からすれば然して意味の有る事では無い。

今更、ノーファインダが盗撮で有るとかの議論をする積もりは無い。
盗撮だと云うので有れば盗撮で有ろうし、然うでは無いと云うなら然うでは無い。
先般の猥褻図画云々と同じで、見る人、造る人に因って、其の意味は変わって仕舞うので有る。
然う云う曖昧模糊とした物が写真で有って、其れにジャンルを与えて彼是云うのは、此れ亦曖昧さに拍車が掛かる話では有る。

見て居る人に一葉の画から何をかを感じ取って貰うのが写真を撮る者の本懐で有るのだとすれば、其の本懐に向けての最大限の努力を為す可きで有るし、此処は日本人の美徳で有る所で、其の努力は表に出す可からざる物で有る。
ノーファインダが其の為に欠かせないと撮り手が感じるので有れば其の様に撮る可きで有ろうし、然うで無いなら然うでは無いので有る。

まァ理屈は如何有れ。

久し振りに試して見て、其れで上手く撮れて居たとすれば嬉しい物で有る。
画角と被写体の表情は後からで無いと分から無いので有るから、其の部分も撮り手の心持ちを良くさせるので有ろう。
此の部分に関しては、見る方が如何受け取るのか、は大した問題では無い。

常用フィルム

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Leitz Summaron f=3.5cm 1:3.5, Kodak Tmax400, Leica M3

長徳さんがブログに北井一夫さんの事を書かれて居たが、某写真雑誌に連載されて居るライカと散歩シリーズは大変気に入っているシリーズで有って、ああ云う写真を撮る人に成りたいと常々考えて居る。
北井さんは M5 を使われる事が多く、レンズも 50mm が殆どで、フイルムもコダックの T-max100 が多い。
飽く迄印刷紙面からの印象で有るが、特に現像でも変わった事をして居る様子も無い。
多分 T-max Dev を 1:4、20 度で … と云う感じでは無かろうか。
カメラやレンズは好みの問題で有るので其処まで拘る必要も無いが、増感も減感もする事無く、出来ればプリントもストレイトで出来て終うのが、やはり好ましいと思って居る。
併し、其の為には撮影時にプリントの仕上がり迄を想像しておく事が必要で、丁寧なピント、丁寧な露光を確実に行なう事が大切で有る。

デジカメやプログラムオートが付いて居るカメラでは、恐らく自分で露出を測ってカメラに入力する選りもプログラムモードの方が早く正確で有るので、其方を使用するのが好いと思うが、マニュアルカメラに於いては自らがプログラミングを行なう必要が有る。
露出を測り ( 此れには露出計を使っても良い )、シャッタスピードを設定し、絞りを設定するのだが、慣れて仕舞えば、電光石火とは行かないが、可成りのペイスで撮り続ける事が出来る。
撮影にはリズムも大切なので有って、好いリズムで撮った写真には気に入っている物も多く有る。

然う云う前提で考えると ISO は固定出来た方が好いし、現像も一定の時間、液の種類も同じ物を使う事の方が、選り好いリズムを生み出し易い。
と成れば液は R09 となるのだが、T-max400 と R09 の組み合わせは好きに成れ無い。
従って、T-max Dev の登場となるのだが、此れは T-max の為に開発された現像液なので有って、現像も短時間で終了する。
T-max には好き嫌いがはっきり有るのは知って居るが、初代は兎も角、マイナーチェンジが行なわれてから大変好きなフイルムに成って居る。
やはり使い慣れたフイルムは好い。